今日、催眠療法中に出てきたシーンのひとつに「雨の日、友達のお母さんが傘を持って学校へ迎えにきている」シーンがありました。
このシーンは他の方にも出てきたことがあるのです。その方もお子さんがいる女性でした。
「雨が降ったら迎えに行かないと、子供が大人になってから悩むことになってしまう」というのではありませんよ。
この出来事そのものが悩みの原因だったのではなく、催眠療法では次々と思い浮かぶものを話してもらうのですが、その中の一つです。そしてこの出来事が「悲しい出来事」だったのかと言えばそうでもなく、
催眠療法中は客観的に自分を見つめているので、このシーンが出た時には一瞬、『 友達を羨ましく思う可哀想な子供(自分)』だと思うらしいのですが、
よーく記憶を引き出してみると『 雨の日に迎えに来てくれるお母さんもいるのに、自分は来てもらえなかった悲しい記憶 』なのではなく、
迎えに来た友達のお母さんに『優しいお母さん』だとの印象を強く抱き、自分がなりたい『理想のお母さん』としていたのです。
『いいお母さんにならなきゃ』という気持ちが強くある時だったのでこのイメージが出てきたのでしょう。
私にも同じ記憶があります。私は傘を持っていっても下校時には傘もささない、長靴を履いて登校しても長靴の中に、わざわざ水道の水を入れて遊んでいたり、雨に濡れることなんてどうでもいい子だったのに、
それでも下校時間に雨が降ってきて、友達のお母さんが迎えに来ているのを見た時には「いいなぁ」と羨ましく思ったり『この子のお母さんて優しいんだな』と思ったのを覚えています。
『 雨・曇った空・傘がなくて濡れていく自分 』と『 よそのお母さんの優しいイメージ 』
良いイメージ(晴天)の、反対のもの(雨)は、
そう思っていなくても悲しいものに見えてしまうことがあります。
悲く思えるようなものと綺麗に見えたものとが一緒になると、どちらも大きく強く残ってしまうのかもしれませんね。