「不幸な人」だと思われたくなかった

風邪気味だったような気がするけど仕事を休むほどではなかった、なのに休日になった途端悪化してしまったという経験はありませんか?こうなってしまうのは、無理をしていて悪化してしまったということもありますが、仕事中には気が張っていて症状を気にしていられなかったということもあります。

今回のクライアントさんも心身ともに忙しい日々が続き、忙しさから開放されると急に体の不調に気づき、同時に心がとても疲れてしまうことがあり悪化してしまったケースです。

60代 女性 無職
【ご相談内容】
ご主人が2年間の闘病の末、死去。主人が亡くなってから少しして自分も病気になり、最初の病気になってから次々と他の症状が増えていく。現在の病名は7つ。心療内科や精神科も勧められたので通ったら不安障害になっていると言われ、また病気が増えてしまった。医者からは「心配し過ぎないほうがいい」と言われるが不安でたまらない。医者も信じられない。どうして良いのか分からない。病院は4回変えている。(お子さんの性別は伏せます)

電話カウンセリング60分

一人暮らし。持ち家でご主人が財産を残してくれたこともあり生活は困っていないそうです。

ご主人の看病をしていた時に、今の症状はありましたか?とお聞きすると「ありませんでした」と言います。

主な症状はめまい、高血圧、吐き気、微熱、動悸、背中の痛み、不眠でしたが精神的なものではない病名もついています。

お医者さんはどの病についても「薬を飲んで様子を見ましょう」と言うが、どの症状も薬を飲んでも一向に良くならないそうです。



関係ないようですが、どのような友人がいるのか、友人関係についてお聞きしました。
すると、

「主人が亡くなってから友達や近所の人達に会うと『どうしてるかと思ったけど割と元気そうじゃない!』とか『元気出してよ!』と言われる。家にいれば『外に出なきゃダメよ』と友達が訪問してくるから疲れる。体調も悪いから誰とも話したくないし、会いたくない」

善意なのでしょうが少し鬱陶しいですね、と言うと、

「そうなんです!普通にしているだけで、『その調子!』とか言われるし」

ご近所さんの話をしている途中で話してくれましたが、ご主人が亡くなる一年半前にお子さんが癌で亡くなり、お子さんとご主人の看病が重なっていた時期もあったそうです。

「周りの人から子供に続いて主人が亡くなってしまうなんて可哀想にって言われるし、そんなこと言われてもなんて答えていいのか分からないし」

善意だとは分かっていても、あまりにも励まされたり同情されると「不幸な人」だと思われているようで嫌ではないですか?

「そうなんです、本当にそうなんです!子供と夫が亡くなって皆んなから不幸な人と思われているようで。(命って)そういうものじゃないでしょ!だから外にも出たくないのに、不幸なことがあったから元気がないと思われるのも嫌で、」と泣き出してしまいました。

人生は長さよりも濃さで、長く一緒に居たかったとは思っても、短いから不幸ってことはないですよね。と言うと、お子さんがどれだけ豊かで幸せな経験をしたか、本人も自分は幸せだと言っていたと話してくれました。


家族が亡くなったことで「可哀想に」と言われ、そのうえ自分までが病気になったら、「不幸な人だ」と思われそうで嫌だからと、体調の悪いところは早く治さなきゃと必死になっていませんでしたか?とお聞きすると

「あります。今思えば、だから悪くなる前に早く治さなきゃと思っていたと思います、なのに病気は増えていくばっかりで、」

『不幸な人だと思われたくなかった』という気持ちが強かったことには今気がついたそうです。家族が病で二人亡くなったばかりなので「病=死」と考えてしまう怖さもありましたが、それよりも周囲の人から「不幸な人」「不幸な家」のように思われたら、お子さんとご主人のことを悪く言われているようで嫌だったそうです。

落ち着いてこられたので、お子さんが病気がわかった頃からのお話を伺うと、お子さんが入院してからは毎日病院へ通わなければいけない訳ではなかったけど心配で毎日行かなきゃ落ち着かなかった。お子さんの病気についてや、心配からの辛さはご主人とよく話していたのにご主人も癌になってしまった。それからは心も体も休まる日が無かったと言います。

そのような状態なら、めまいや動機はその頃から少しはあったのではないかとお聞きすると、やはりあったそうです。
最初にお聞きした時には「ありませんでした」と言っていましたが本当に思い出せていなかったのです。

お子さんの病気がわかってからずっと気遣い、心配し、心が落ち着かない状態で毎日病院へ通い、お子さんが亡くなってからも悲しむ間もなくご主人の看病をしている生活が続く中では、自分の体調は気にしていられなかったでしょうし、気がついたとしても、倒れてしまうようなことにならない限り休むなんて考えられず、病人を目の前にすると自分の症状くらい大したことないと思えてしまっていたからなのでしょう。

忙しさが無くなり自分にも目が向けられるようになったので急に体調が気になってしまったのでした。そこにきて家族が亡くなったことで近所の方から「可哀想に」と言われるのが嫌で、自分まで病気になったら何を言われるか分からないという焦りと不安から体調が悪化していました。
これは気にし過ぎなのではなく、家族をなくされてから周囲からのこのような言葉や同情に苦しむ人は多いのです。

善意からとはいえ、私は「心無い言葉」だと思います。善意20%くらいで後の80%は何も考えていない発言だと思うからです。中には「お祓いに行けば」と言った方もいたそうで、これはもう暴力です。誰かの人生を他人が「可哀想」「不幸」と決められるものではないのです。


「不幸な人だと思われたくなかった」と思っても仕方がなく、その思いから不安で焦っていたと言うことに気づかれると、お医者さんの話も信用できるようになったと仰り、改善されないので心配で増やしてもらった薬もあるので減らしてもらうことにするそうです。

友人やご近所さんからの励ましや同情された時の対処をアドバイスさせていただき、最後にはご主人がどのような人だったのかをお話ししてくださいました。ご主人はとても優しい方で、面白いし、お互いに何でも話せる友達のようでもあり、この歳でも大好きだったそうです。そんな男性と出会えたなんて本当に幸せな人生だなと思いました。

パートナーと死別され、友達とも話したくないという方は、パートナーと死別された方達の交流会が全国にあるそうなので「未亡人会」「没イチの会」で検索してみてください。※マグノリアは関係ありません

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