中2~中3の時の彼氏
どこが好きかも、なんで付き合っているかもわかりませんでした。
顔も良くない(ごめん)性格もどうとも言えない。
家は近所だったのでよく遊んでいましたが、
二人ともあまり話さなかったので、どんな会話をしていたのかも覚えていないのです。
友達からは「なんで付き合ってるの?」とよく聞かれした。
二人とも音楽が好きで、よく一緒に音楽を聞いていました。
聞きたい曲が合わない時は片方がスピーカーで、片方はヘッドホンで。
とにかく会話はほとんどせず音楽を聞いてばかりいました。
たまに私はだらだら絵を描いて、喧嘩もしたけどそこでも会話はなし。
喧嘩の仕方も会話ではなく、お互いが聞いている音楽のボリューム、
その音の大きさで「怒っている」「そんなの知らない」を表現しあっていました。
仲良しの時は、同じ曲を聴きながら二人で「うお~!」って顔をして、
「この曲のここ!(イイね!)」という時は、頭をフリフリ、リアクションで気持ちを表現
嬉しくて体を絡めあい、二人で音楽に溶けていたような感じでした。
好きだったのか、好きな音楽が合った時が仲良しなのか分からないまま、
なんだかんだ2年間付き合っていました。
(彼は交通事故で17歳で死去しました)
それから時は流れ、私は大人になり
体調も悪く、理由の分からない虚しさに襲われていた頃、私はとにかく何かを始めようとして
『英語で歌が歌ってみたい』という理由で英会話教室に通い始めました。
ですが私の英語のレベルは酷いもので、覚えている単語は2つだけ。
「キューカンバ」(きゅうり)
英語も日本語も似ているから覚えていました。
あとは「アンビュランス」(救急車)
救急車がこんなカッコイイ言い方だったのか!と感動したので覚えていました。
この2つしか覚えていない程度。
日本人の先生とのマンツーマンの教室へ。
先生は日本人なのに日本語は一切使わないと言われました。
英語ができない私が話せるはずないのですが、
少しは日本語でも教えてくれるだろうと思っていました。
ところが、最初の挨拶から終わりの挨拶まで 日本語は一切使ってくれません。
先生の質問もわからない。
私が日本語で質問しても、すかさず先生が英語で繰り返すだけ。
でもどこの部分を言っているのかもわからない。
何が分からないかを伝えることも出来ない、
何が通じたのかも、会話になっているのかいないのかも分からないのです。
ジェスチャーと、先生と私が絵を描いて伝えることは少し許されていましたが、
日本語が全く通じない国に、一人でポツンと置いていかれたような心細さがありました。
分からないし恥ずかしいしで、黙っていると進まない、
だから話そうとするけど話せない。
でも、こんな話せない状況がしばらく続くと恥ずかしさも消えてしまい、
とにかくなんでもいいから必死に伝えようとする日が続きました。
そんなレッスンが続いたある日、
私は「今 何が辛いのか」「とにかく何が好きなのか」を泣きながら話していました。
それが通じていたのかもわからないけど、
その日のレッスンが終わってから、突然先生が日本語で話しはじめました。
「ここでは、皆さんが伝わらないながらに、それでも必死に何かを伝えようとします。
人は必死になると、自分を囲んでいる何かが取れると、当たり前のものが通用しないと、
そうなるとその人の「核」が出るような気がします。うちに通う方は一生懸命な人ばかりで、
あなたのように必死に伝えようすること自分が一番何を思っていたのを知る方が多いのです」
と仰いました。
先生のその言葉は、私の心に重く響き、
先生には感謝しながらも、私はそれから直ぐに英会話を辞めました。
現在の私。
カウンセリングの時、クライアントさんが相談内容を夢中で話している時、
話が前後したり、バラバラになったり、枝分かれしたりします。
クライアントさんは急に我に返り「あ、これじゃ訳わからないですよね」という方もいるのですが
「支離滅裂でいいです。話の順番なんてバラバラでかまいません」と答えています。
本当にそれでいいのです。
一つの悩みには、現在の出来事だけではなく過去の小さなひとつひとつが絡まっているので、
それを全部きちんと順番通りに話そうとするのは無理です。
でも、人は一生懸命に何かを伝えたいと思えば、話す順番がぐちゃぐちゃでも
支離滅裂でも「なにか」は伝わるのです。
むしろその方が、英会話の先生が言った通り、
その人の「辛さ」「悲しさ」「何をどうにかしたいか」伝わってくるのです。
中学生の二人は、とにかく音楽が好きだったのかも知れません。
互いにそれが伝わりあっていただけなのでしょう。
英会話は、英語の歌が歌いたかったら通い始めましたが、考えてみたら、
英語の歌は意味はわからなくても、いつも「ものマネ」で歌えていました。
それなのに何故、英会話を学んで歌いたいと思ったのか。
きっと、その時の私は、中学生の時のように「感じたままに動く」ことが出来ず、
全てにおいて「 ~でなければならない」が強くなっていたのでしょう。
それを英会話を習いに行き、必死に伝えることで思い出せたような気がするのです。
何でもやってみるもんですな。
英会話の先生から「マグドナルド」の発音だけ「こんな上手に発音できる人はいない!」と褒められました。
でもそれも英語だったので、本当にそう褒められていたのかは分かりませんが・・・メイビー!