大きな悲しみから

今日で阪神淡路大震災から24年ですね。

その後2011年に東日本大震災がありました。この東日本大震災の後に周囲にある変化がありました。

カウンセリングでも最初は日常で困っているご相談から始まり、そこからどんどんお話が進んでいくと、
目の前の悩みではなく「自分の生き方について」「本当はこう在りたい」という相談に行きつく方が多くなったのです。

これは大きな災害により多くの死を知り、それは誰にでも突然やってくるということを知り「今の生き方は自分が望んでいるものだろうか?」「本当は何がしたいのか」を自然と深く考えることになったからなのかと思います。

クライアントさんだけでなく、周囲の知人にも変化がありました。

いつもは誰かが話す事に対して「そうそう!そうだよね!」としか答えず、
芸能人の不祥事に「許せない!」「信じられない!」と怒り、
「何故そう思うの?」と聞かれたら「だって普通そうだし」としか答えられないような、

わざと人に合わせているのではなく、多くの人が良いという物は良く見え、
多くの人が嫌うものは嫌えてしまう「自分の物差し」が無い人達。

そんな人達が2011年の震災後急には自分の物差しで考え、話すことが多くなったと感じました。
震災の影響で「自分」というものを無理にでも真剣に見つめさせる事になったからだと思います。

「人生はいつか終わりがくる。それはいつなのか、どのような形でやってくるのか分からない、だから自分を生きよう」

多くの死と、沢山の大きな悲しみは無駄にならず、どこかで誰かに良い影響を与えたのだと思いました。

しかし、それは一時的なものでした。

その後も大きな災害がいくつかありましたが、大きな悲しみもショックも何度か起きれば、
実害がなかった人達は慣れてしまうのでしょう。あっと言う間に元にもどってしまいました。

震災後、Facebookを多くの人が始めるようになり、その後のInstagram、
SNSが普及すると周囲に流され易い人達はもっと大きく、きちんと並んで流されるようになったと思う。


自分のやりたいこというよりは、誰がコレをみて良いと思ってくれるか、
多くの人が良いと思うことを良いと思い、やる、見せる為に買う、行く。
欲しくないものも世間体を気にして手放せない。
変な競争が始まる。
スターが亡くなったと聞けばそんなに悲しくなくても泣く。

周りに合わせて楽しいだけなら良いが、誰かに合わせていれば必ず心に不満も溜まる。
他人に合わせているから溜まるその不満は、身近な大切な人にぶつけてしまうこともある。

世間に合わせるだけで自分が真剣に向き合うものがなければエネルギーは余るので、
世間が悪いと思うものに怒りをぶつけたり、SNSで自分とは無関係の人に攻撃したり。
みんなとは少しでも違うものは同じように並ばせようと足を引っ張ったり。

そんな大人達の姿勢は子供にも影響する。


多くの死から学び一時的に変化するのか、その後の人生が変わるのか。

「人生はいつか終わりがくる」「それはいつ来るか分からない」
それを根底から理解すれば「今、自分は何をすべきか」を自然と考え続けられます。

一人一人がいつ何が起きても、自分が心から楽しいと思うことが多かった人生であって欲しいです。

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