心に残る雲

特に嫌な事があった訳でもないのに心に暗い影がさすことはありませんか?

楽しい事をしていたり嬉しい事があった時なのに、そんな時にふと心に暗い影がよぎるのです。
何故かは分からないし、はっきりと見えません。

そのうち忘れてしまうけど、また何かの拍子に現れ、また消える。
心が晴れている日なのに、急に雲が現れては消えるのです。

その雲の正体はなんでしょう?

それは自分の中に在るんだけど 見ないようにしてるものです。

自分のやるべき事や、やりたい事、やめなくてはいけない事なのかもしれないし、
誰かへの罪悪、誰かへの想いなのかもしれません。

どうにかしたいと思いながらも、

もう遅い、早くしなきゃ、

でもこんなに遅くなっちゃった。

どうしよう、 でも今更・・・

そうなってくると 見るのが嫌になり、見なくなってしまった「何か」なのです。

それは 子供が気軽に飼ったけど世話をしきれなかった小動物と似ています。

お祭りですくったミドリ亀。
飼い始めた時は毎日世話してたのにある日エサをあげるのを忘れてしまう。

「今日は絶対にエサをあげなきゃ」 と思っていたのに、また忘れてしまい遊びに行き、
遊んでいる途中で思い出したけど、家に戻るのが面倒で
「 まだ大丈夫だよね。帰ったらあげよう」と、そのまま遊び続けます。

なのに帰ってからも忘れてしまった。
次の日も。

そうなると、
家に居る時に思い出してたとしてももう怖くて洗面器の中を見れません。

まだ生きてるかもしれないと思っても瀕死(ひんし)の状態は見たくないのです。

『こんな状態にしてしまったのは自分なんだ』と思うのが怖くて、
まだ かすかに動く亀を見るのが怖いのです。

怖くなると、子供は更に遊びに夢中になります。

忘れたフリをしたいのです。

そうして 洗面器の水も乾き、亀が生とも死とも関係のない干からびたモノになるまで
忘れたふりをして待ってしまうのです。

死んだ亀を片づける時も、モノを捨てるように そっけなく行います。
そこでは何も考えたくないからです。

同じことした友達は笑って言っていた。

「 カメ、干からびちゃった! 」

ああ、皆もそうなんだ。別にいいんだ。仕方なかったんだ。
こんなこと「ささいな事」なんだ。

友達と一緒に笑いながらも、飢え乾いていく亀の姿がチラつき気持ちが曇ります。

しはらくすると、心が曇ったとしても亀は見えなくなります。

こうして「雲」だけが残ります。

では、たとえ瀕死の状態でも生きているうちに洗面器に水を入れたり、謝るだけでも、
今の自分に出来る 精一杯の事をやっていたとしたらどうだったでしょう?

たとえ亀が死んでしまったとしても、雲は薄く小さくなっていったでしょう。

それはその後の様々な出来事にも違いが出てくるのです。

亀はお腹が空いても鳴けませんし苦しくても叫べません。

死んでも気が付かれないかもしれません。
子供には飼う事が難しかったかもしれない。

でも 亀はいました。

自分の心の声も同じなのです。
自分の中に何かがある時、自分が聞いてあげないと誰にも気が付かれません。

こうしている間に忘れて行くだろう。
仕方なかった。 今更やっても仕方ない。 みんなそうだ。 別にいいんだ。

これは間違ったポジティブです。

無理に考えないようにしても、得たいの知れない雲は心に残ります。

雲が在ることを無視して、上からいくら明るいものを重ねようとしても晴天にはならないのです。

何だか分からないけど心によぎる雲がある時、それはいったい何なのか?
怖がらずに 嫌がらずに ゆっくりと静かに見つめてみましょう。

そうして雲の正体がわかった時、
もう無理だと思っていたけどやらなかっただけで まだ出来る事かも知れません。
出来ないと思い込んでいただけかもしれません。

もし間に合わなかったことでも、出来なかったとしても、戻れないとしても、

「これがやりたかったんだ」「これをやめたいんだ」

「自分にも悪いところがあった」「あやまりたいんだ」

「これが嫌なんだ」「これが嫌だったんだ」

「これが好きなんだ」「好きだったんだ」

『 本当は、前からそれを知っていた』と、自分の気持ちを認めるだけでも雲は薄くなっていくのです。

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