「私を受け入れて」という癖

過去に悲しい出来事や辛い出来事があった人は「人間関係が上手くいかない」「人から裏切られることが多い」「人間不信だ」という人がいます。その中には無意識にあることが癖になっていて、それが原因で人間関係が上手く行かなっているということがあります。

その癖とは、過去の嫌な出来事を新たに出会った人に話さなければいられないという癖です。

「元彼にひどい扱いを受けた」「昔、いじめにあっていた」「親にこんな扱いをされていた」

『 私にはこんなに辛いことがあったの』それを、仲良くなりたい人に話さずにはいられないのです。

自分の辛かったことを人に話したいと思う気持ちは誰にでもあります。

しかし、初めて会った時に直ぐにその話をする。少し親しくなると、その話をせずにはいられない。

自覚がないまま、それが「癖」になってしまっているのです。

これがなぜ人間関係での悩みに繋がってしまうのかというと、自分の辛かったことは人に話し、優しくされたら嬉しいです。
「可哀想な話」をされたら耳を傾けてくれる人も多いです。

なので、悲しい話、辛い話をコミュニケーションの道具としてしまうことを覚えてしまうのです。

ですが人は最初の印象が強く残ります。聞いてくれた人がどんなに優しい人だとしても、本当に可哀想だと思われたとしても、その人との間に何かがあった時に、

『この人は、ああいう事があったから捻くれているのかな』
『やっぱり、ああいう事があったから素直じゃないのかな』と思われる瞬間も、
『ああいう事があった人だから、これは話し難いな』と気を使わせることもあるかも知れません。

そして、相手にどう思われるかよりも、この癖は自分の中で問題が起こるのです。

「出会って直ぐに過去の自分の辛い出来事を話す」が癖になっている人には、そのつもりはなくても、それを人に話すことにより、

『こんな可哀想な事があった私なのだから、大事に扱ってください』
『私が不快になるようなことは決してしないで、言わないで』
『なにか不快にさせることがあったとしても、私は心に傷がついている者だから仕方ないのです。多めにみてください』


このような気持ちがどこかに生まれていることがあり、それは、

『自分の過去に起こった出来事の傷を癒し、これからも嫌な気持ちにならないで毎日元気でいられる』責任を、
相手に期待し、要求しているのです。

なのでその相手との間で嫌な事が起きると、

「いい人だと思ったのに、」「理解してくれなかった、受け入れてくれなかった」 「裏切られた」と 相手を怨んだり、
「やっぱりこんな自分だから嫌われたのだ」 「あれを話したからバカにされた」「こんな自分だから相手にされなかった」 と考えたり、

相手との関係に不安になってくると、また「自分の悲しい、辛い話」でつなぎ止めようとします。そこには言葉にはしなくても『こんな可哀想な私なんだから優しくしてよ』という気持ちが隠れています。

それでも上手く行かないと『 あの過去の出来事せいで自分はこうなった』と、過去の出来事以外の他の原因を探すこともなく、自分の「今」にある原因を見なくなってしまう為に同じことを繰り返してしまうのです。

人間関係で悩み、同じようなことが思い当たるという方は、自分が『過去の辛い話をしたい理由』をよく考えてみましょう。『どうして会ったばかりの相手に、自分に辛い過去があった事を知ってもらいたいのか?』を、です。

「全てを知って欲しいから」「自分の全てを受け入れて欲しい」という人もいますが、「受け入れる・受け入れてくれた」とは、どのようなことを指すのでしょうか?自分に非があることも全て「あんなことがあったのなら仕方ない」と許してくれることだとを考えていないでしょうか。

もし、「可哀想なあなた」だからと何でも許してくれる人がいたとしたら、そのような人に会ったとしたら、
忘れたい癒されたいと願っているはずの「その過去」や「可哀想な自分」を自分が手放したくなくなってしまうでしょう。

また、自分の人を寄せ付ける魅力は「可哀想な自分」だけだと無意識に勘違いしてしまいます。

そうなってしまうと、辛い出来事により過去は被害者だったのだとしても「その出来事を今でも使い続けている自分」は「今の加害者」なのです。

会ってすぐに「受け入れて欲しい」と要求し、「どう思われたか」「あれを話したからこう思われたのか」「受け入れてもらえなかった」「裏切られた」と自ら不安材料を増やしてしまうのなら「過去の悲しい出来事」を会って直ぐの人に話すのはやめましょう。

きつい言い方ですが、それを「ネタ」にするのをやめるのです。

「傷ついたことがあったから人が怖くて何を話していいか分からない(だから話してしまう)」と言う人もいましたが、「人」を求めている自分を認め、『人が怖い』なんて言葉を使うのをやめ、話難いのなら「今の自分」は「人見知り」だと考え「なら、どうしたら良いか?」を考えるのです。

人との話題も「過去の辛かった自分」に乗せて話すのはやめ、
「今、何が嬉しかった」 「今、何が好き」 「今、嫌なことがあった」 「これから、どうしたい」

「今」の自分の話題をするように心掛けます。そうしているほうが 自分でも 「自分の良さ・面白さ・魅力」に気づくことが多くなるでしょう。

そうなると「悲しい過去の話」はコミュニケーションに必要なくなっていき、なくなってきた時に初めて「必要なかったんだ」ということにも気づきます。

意識してやっていた訳ではないので「癖」です。
癖とは、それが癖だと自分が認めないと「気を付ける」「やめる」ということが出来ません。

辛く悲しいことがあったのは事実。
それなら尚のこと本気で自分を可哀想だと思い、いっときの慰めや優しさを求めるのではなく、誰よりも自分が一番に自分の事を真剣に考えてあげ、これからはもう悲しい思いはさせないよう引き上げてあげましょう。

大丈夫な子

高校生の女の子がいらっしゃいました。

家で大変な事もある中、成績も優秀で進路についても自分でしっかり考えています。

あることから『自分はダメだ』と思い込んでいました。
いろいろな話をして2時間近く経ったころ「スッキリしました!」と仰ったので
カウンセリング終了しようとし、「あと、何かあるかな?」とお聞きすると、

「うーん・・・言ったってしょうがないことなんだけど、私は、親は親で大変なのもわかってるから
自分のことは自分で考えて、それは当然なんだろうけど、でも私だって辛い時もあるのに、
なのになんで私はいつも期待されて、それが普通で、迷惑ばかりかける◯◯(兄弟)のことばかり 親は、」

ここで言葉を詰まらせてしまったので

「なぜ、お母さんは○○さん(兄弟)のことばかり心配したり助けたり、許したりするの?ってことかな?」

「そうです」

**********************************

大人のクライアントさんで、自分の兄弟姉妹が病気だったり障害を持っていたり、問題を起こしてばかりで親を困らせるなど、親の手が掛かってしまう兄弟姉妹がいる人の中には、

子供の頃から自分は『心配をかけない子』でいたことが影響し、今の自分を苦しめている原因になっていたことがあります。

親から愚痴をこぼし続けられたり、辛さをそのままぶつけられ、暴言を吐かれたり、酷い八つ当たりをされていた人もいます。

手がかかる子に比べ、”大丈夫な子”は、親や兄弟姉妹のことを心配しているので、それだけでも心を痛めています。親の大変さを理解しているからこそ、自分は親に心配をかけまいと、何かあっても言わず、言えず。どんな時でも明るくしていたり、喜ばせようと頑張っていることもあります。

でも、「大丈夫な子」はいません。
コンクリートの柱のように強く頑丈にいようとしていると、何かあったときに「しなる」ことが出来ず、少しずつ少しずつヒビが入り、ある日突然ポキンと折れてしまうこともあります。

親は、子供の事だけではない忙しさや辛さもありながら、手がかかる子がいれば、手がかからない子に気を回すことは難しいでしょう。

でも、だからこそ、手がかかる子以外の子供にも『大丈夫ではない時もある』と意識し、疲れていても面倒でも、手が掛からない子供の寂しさを理解し気にかけていた方が、それはその子の為だけではなく、後々親の負担も増えないのです。


この子の最後の話については、

貴女がそう思ってしまうのも当然であり、仕方ない。
けど、親が辛いところを貴女に何も見せないようにしていたとしたら、それを見ているのも辛いかも知れない。

親からはいつか離れる。 その時に その兄弟と自分に「残るもの」の違いについて。
「大人になってからの時間は長い」ということ。
頑張ったことや知識や経験は消えないということ。

親に期待されたからだけではなく、親の期待に応えたい気持ちも含め、貴方は「自分の意思」で志望校を決めたのもある、と話しました。


お母さんが迎えに来てくれるのを待っている間に

「でも、このカウンセリング代出してくれてるのもお母さんなんですよね。(お母さんが)電話で申し込んできた時もとても心配してましたよ」と言うと

「そうなんですよねぇ」と照れ臭そうに笑い、迎えに来たお母さんが、この子の顔を見た瞬間「良かった、良い顔してる!」と言うと、とても嬉しそうに笑っていました。

直接話してみないと分からない


表現と受け止め方の違い にも書いたように、本人に直接聞いてみないまま
相手の気持ちをこう思っているのだろうと決めつけてしまうと、損をする事があります。

これは20代の女性からのご相談です。※ご本人の承諾を得ています

ご相談内容
上司から無能だと思われていて無視されてる。自分だけ仕事を回してもらえない。他の社員からもそう思われているか怖い。失敗したくないのに、萎縮してしまい余計に失敗してしまう。なのでこのまま自分から辞めたい。けど本当は辞めたくない

どうして上司の方が無能だと思っていると思ったのか、理由を細かく聞いてみると、
上司から何か決定的な何かを言われた李、無視をされたということはありませんでした。

彼女が上司がやっていた仕事を手伝おうとした時に「あ、大丈夫だわ。いいや」と言われたので、
『自分が無能な為に、無視されている』と思ったそうです。

このまま怯えて失敗し続けることも嫌でしょうし、それで辞めてしまうのなら、
上司の方と直接お話をされてはどうでしょうか?と提案し、
「上司の方に、話をする時間を作ってもらう頼み方」と「どう話すか」をアドバイスさせていただきました。

彼女は思い切って上司と話してみることにしました。

こうして直接聞くことにより、もしこの上司が彼女のことを『無能だ』と思っていたのだとしても、
彼女仕事への熱意も伝わり、上司の気持ちが変わることもあるからです。

上司に聞いてみたところ、

「ああ、失敗するのは仕方ないのに、君に少し注意すると何度も謝ってくれるので、悪いと思って仕事を頼み難くなっていたのかも知れない。そんな風に気にさせていたなんて、こちらこそ申し訳なかった」と言われたそうです。

彼女はこの出来事から「私は恋愛でも同じような事(直ぐに嫌われたと思ってしまう)をしていたのかも知れない」
と気づきました。

それからは上司とも、他の方とも自然と話しやすくなり、失敗は減ったような、気にすることが減ったのか分からないけど楽になったとご報告をいただきました。

今までの自分思い癖を変えることは、小さなことでも実践し、小さく実感することにより確実に変化していきます。

もし神様が願いを叶えてくれるなら


メリークリスマス!ですね
皆さんいかがお過ごしですか?


今年の初め、あるクライアントさんが言いました。

「これは、友達に少し話しただけでも無理だと言われるし、自分でもそう思うから別にいい事なのですが」と、
ある事柄について話されました。(ご相談内容とは関係ないこと)

”そのこと”を自分が「望んでいる」とも思いたくないように苦しそうに話し続けます。

確かに「大変だろうな」「無理だね」と言われそうな事でした。

なので、しばらくお話をしてから、
「もし神様が、なんでもいいから願いを叶えてあげると言ったらどうしますか?」と質問しました。

その瞬間 わっと泣き出して、泣きながらも力強く、
「もしそう言われたら、(そのこと)になりたいって言います」と答えました。

自分ではもうどうでもいいこと、絶対に無理だと思っていたので「望んでいない」と思いたかったのでしょうが
本当は泣き出してしまうほど「望んでいたこと」だったのです。

言葉に出すことで自分が望んでいることをしっかりと認めることができ、
その上で今から始めることを考え、
念の為「もし出来なかった時はどうするか」ということも考えることができました。


そして、このセッションから一年近くたった昨日、近況報告をいただきました。

photo:01

(嬉しくて興奮している私の乱文)

今年の初めに「無理だ」と思っていたことが、一年も経たないうちに全て望み通りになったそうです。
このご報告はとても嬉しいクリスマスプレゼントになりました。

カウンセリングをしていると実際には無理ではないことを「絶対に無理だ」と思い込んでいる方がとても多いと感じます。
「絶対に無理だ」と思い込んでいるので「望んでいるのだ」ということも考えたくなくなるのでしょう。

現状に満足しているようでも、何か違うと感じることがある人は、一度、
「神様がなんでも願いを叶えてくれるなら何をお願いする?」自分に聞いてみるといいかもしれません。

出てきたものが、どんなに難しいこと、無理だと思えることでも良いのです。

例えば50代で「オリンピックの代表選手になりたい」「アイドルになりたい」だとしたら、
実際にオリンピックの選手になることはなくても、
「オリンピックの選手」や「アイドル」の中に在る何を望んでいるのか?

爽快感、達成感、名声、挑戦する気持ち、など、他にも色々あると思います。

何を望んでいるかを意識化すれば、絶対に無理ではないということも知れ、
それと全く同じものになれなくても、その中に在った「望むもの」が違う形で叶うこともあるのです。

「もし神様が願いを叶えてくれるなら」
年に一度でも、子供のように考えてみては如何でしょうか。

photo:02


(次女がクリスマスケーキを作ってくれました♪)

人それぞれ、表現の仕方と、受け止め方が違う

対人関係で悩みが多い方は「人それぞれ、表現の仕方も、受け止め方が違う」ということを理解していないことが多いです。

「表現と受け止め方の違い」を理解していないことで誤解が生じ、仕事、恋愛、友人関係でも、
長く深く付き合う前に嫌ったり、嫌われたり、諦めたりしているのです。

「表現と受け止め方の違い」とは

例えばAさんBさんCさんDさんEさんの5人がいたとします。

ある日Aさんが髪型を変えてきました。
それを見たさん全員、Aさんの髪型を「可愛い」と思いました

Bさんの表現

Aさんを見た瞬間、「可愛いーっ!!」と大きな声で言う
どこがどんな風に可愛いかを興奮気味に伝える

Aさんの受け止め方

⑴「こんなに褒めてくれて、とても嬉しい」
⑵「褒め慣れているから誰にでも言うのだろう」「お世辞だろう」と思う

Cさんの表現

Aさんに「髪型変えたんだね」と言う

Aさんの受け止め方

⑴「気が付いてくれたんだ」と喜ぶ
⑵「可愛くなったね」とまでは言ってくれないCさんに不満を持つ

可愛いと言ってくれないCさんに、Aさんが「変かな?」と聞いたとしたら、
Cさんは『可愛いと思わなきゃ髪型を変えたことには触れるわけないのに』と思うかも知れません

Dさんの表現

「可愛いね」とだけサラっと言う

Aさんの受け止め方

⑴さりげなくサラっと言ったからこそ真実味があって嬉しいと思う
⑵サラッとしか言わなかったから社交辞令で言ったんだろうとしか思う

Eさんの表現

何も言わない

『本人が好んで変えたものなんだし、それをわざわざ褒める方が失礼』と思ったからです。

まるでお寿司屋さんに「お寿司を作るの上手ですね!」と言うみたいで、かえって失礼なようで言えない、
だから言わなくていいだろうと

Aさんの受け止め方

⑴可愛いと思ってくれているのは分らない
⑵自分には興味が無いのだと思う
⑶何とも思わない
⑷この髪型、変だと思っているのかな?と思う
⑸何も言ってくれないなんて意地悪だと思う

Aさんが女性で
C、D、Eさんも女性だとしたら
「僻んでいるからそれしか言えないんだろう」と思うかも知れないし

C、D、Eさんが男性だとしたら
「照れて何も言えないんだね」なんてことも思うかも知れません。

そして Bさんのように「大きく褒める人」が髪型を変えたとして、
DさんやCさんのように言われたり、Eさんのように何も言ってくれなかった場合、
自分の誉め方とは違うので、
「たくさん褒められなかったから可愛くないのかな。」と思うかも知れないし、
「この髪型は変なの?」とまで思うかも知れません。

C、D、Eさんは、自分は人に大きな表現はしなくても、
Bさんのように大きく褒められたら嬉しいかも知れないし、逆に「大げさだ」と思うかも知れません。

そして、ABCDそれぞれが いつも同じ表現や、受け止め方をするではなく、
その日の自分の状態によって違うこともあります。

これは 「どう褒めるのが正解か」「誰が性格が良くて 誰が悪い」という話ではなく、
同じ事を思っていても、人の表現はそれぞれで、どう感じるかも違うということです。

人間関係で悩みやすい方は、その人のたった一言や、一面で、
「この人は良い人」「この人は悪い人」「自分は嫌われた」と決めつけてしまいがちです。

相手がどう思っているか悩む時には、決めつける前に直接聞いてみると良いのですが、
それが難しいのなら『表現の違いはある』ということを考えてみましょう。

誰にだって本人にそのつもりはなくても『誤解されること』があるのです。
それなら自分が人を『誤解してることもある』ということです。

そして、自分にも「その日の気分」があるのです。なら人にも「その時の気分がある」と考え、
「こう思われているだろう」とか、この人は「こんな性格」だとは決めつけず、
なんでも良く捉えておかなきゃいけない…のではなく、良く捉えておいたほうが人間関係で悩むことが少なくなるでしょう。

「つまらない」みんなは何が楽しくて生きてるの?

ある男性のクライアントさんが言いました。

「何をやっても毎日つまらない。皆は何が楽しくて生きているんだろう」

同じような事を言った方は他にもいます。
他人と自分を比べ、いじけたり羨んだりして言っているのではなく、心の底から溜め息を吐くように言うのです。

こんな風に「つまらない」と言うのは過去に「強烈に喜べた経験」があったからです。
今はそれがない、無くなってしまった。だからこそ「つまらない」のです。

これはあるお寺の掲示板に書かれていた言葉です。

『 甘い記憶は、現役を続ける人間にとって、無縁のものでなければ嘘である』

甘い記憶とは「喜びの記憶」です。
老い、体が動かなくなってしまった時、人には思い出しか残りません。

過去の喜びだけを思い「あの事があったから、あの思い出だけで満足」そう思うのも、
そう自分に言い聞かせるのも良い。

でもそれは、全てを諦めきってしまえるような状態になってからであり、
『現役を続ける人間』、今を生きている者は『思い出だけで満足している』というのは嘘でなければならない。

現役を続けられているうちは、喜びを求め続けよう。という意味だと思うのです。

現役を続けている者は「諦めることが出来ない自分」がまだいるので「つまらない」とも言えるのです。

「つまらない」と言えているうちは、また心のどこかで喜べる事がない自分に疑問を持っているということです。

疑問を持つということは喜びを求め続けていることには変わりないので、いつかはまた喜べる事が起こる。

喜びを求め続けていたなら、もし喜べる出来事がなかったとしても、
老いた時に、その喜びを求め続けた自分が「甘い記憶」になるのです。

心に残る雲

特に嫌な事があった訳でもないのに心に暗い影がさすことはありませんか?

楽しい事をしていたり嬉しい事があった時なのに、そんな時にふと心に暗い影がよぎるのです。
何故かは分からないし、はっきりと見えません。

そのうち忘れてしまうけど、また何かの拍子に現れ、また消える。
心が晴れている日なのに、急に雲が現れては消えるのです。

その雲の正体はなんでしょう?

それは自分の中に在るんだけど 見ないようにしてるものです。

自分のやるべき事や、やりたい事、やめなくてはいけない事なのかもしれないし、
誰かへの罪悪、誰かへの想いなのかもしれません。

どうにかしたいと思いながらも、

もう遅い、早くしなきゃ、

でもこんなに遅くなっちゃった。

どうしよう、 でも今更・・・

そうなってくると 見るのが嫌になり、見なくなってしまった「何か」なのです。

それは 子供が気軽に飼ったけど世話をしきれなかった小動物と似ています。

お祭りですくったミドリ亀。
飼い始めた時は毎日世話してたのにある日エサをあげるのを忘れてしまう。

「今日は絶対にエサをあげなきゃ」 と思っていたのに、また忘れてしまい遊びに行き、
遊んでいる途中で思い出したけど、家に戻るのが面倒で
「 まだ大丈夫だよね。帰ったらあげよう」と、そのまま遊び続けます。

なのに帰ってからも忘れてしまった。
次の日も。

そうなると、
家に居る時に思い出してたとしてももう怖くて洗面器の中を見れません。

まだ生きてるかもしれないと思っても瀕死(ひんし)の状態は見たくないのです。

『こんな状態にしてしまったのは自分なんだ』と思うのが怖くて、
まだ かすかに動く亀を見るのが怖いのです。

怖くなると、子供は更に遊びに夢中になります。

忘れたフリをしたいのです。

そうして 洗面器の水も乾き、亀が生とも死とも関係のない干からびたモノになるまで
忘れたふりをして待ってしまうのです。

死んだ亀を片づける時も、モノを捨てるように そっけなく行います。
そこでは何も考えたくないからです。

同じことした友達は笑って言っていた。

「 カメ、干からびちゃった! 」

ああ、皆もそうなんだ。別にいいんだ。仕方なかったんだ。
こんなこと「ささいな事」なんだ。

友達と一緒に笑いながらも、飢え乾いていく亀の姿がチラつき気持ちが曇ります。

しはらくすると、心が曇ったとしても亀は見えなくなります。

こうして「雲」だけが残ります。

では、たとえ瀕死の状態でも生きているうちに洗面器に水を入れたり、謝るだけでも、
今の自分に出来る 精一杯の事をやっていたとしたらどうだったでしょう?

たとえ亀が死んでしまったとしても、雲は薄く小さくなっていったでしょう。

それはその後の様々な出来事にも違いが出てくるのです。

亀はお腹が空いても鳴けませんし苦しくても叫べません。

死んでも気が付かれないかもしれません。
子供には飼う事が難しかったかもしれない。

でも 亀はいました。

自分の心の声も同じなのです。
自分の中に何かがある時、自分が聞いてあげないと誰にも気が付かれません。

こうしている間に忘れて行くだろう。
仕方なかった。 今更やっても仕方ない。 みんなそうだ。 別にいいんだ。

これは間違ったポジティブです。

無理に考えないようにしても、得たいの知れない雲は心に残ります。

雲が在ることを無視して、上からいくら明るいものを重ねようとしても晴天にはならないのです。

何だか分からないけど心によぎる雲がある時、それはいったい何なのか?
怖がらずに 嫌がらずに ゆっくりと静かに見つめてみましょう。

そうして雲の正体がわかった時、
もう無理だと思っていたけどやらなかっただけで まだ出来る事かも知れません。
出来ないと思い込んでいただけかもしれません。

もし間に合わなかったことでも、出来なかったとしても、戻れないとしても、

「これがやりたかったんだ」「これをやめたいんだ」

「自分にも悪いところがあった」「あやまりたいんだ」

「これが嫌なんだ」「これが嫌だったんだ」

「これが好きなんだ」「好きだったんだ」

『 本当は、前からそれを知っていた』と、自分の気持ちを認めるだけでも雲は薄くなっていくのです。

動きたいのに動けない理由の一つに

自分の好きなことができないという人の理由の中には「自分には無理だから」 「〜だから出来ない」など色々ありますが、理由の一つに「人からどう思われるかを気にして」があります。

例えば、自分の好きな服装があったとしても。買えないという金銭的な理由ではなく、体型も関係なく、流行りきったものや無難な服ばかりを着て“ 自分がイイと思う自分の好きな服 ” を着れていない人は結構いると思います。

着たいのに着れない理由の 最初に出てくるものは、「 似合わないから」「 体型が合わない」

でも、もう少し心の奥をみると、今までとは違うイメージの服を着て誰かと会った時に

「 張り切ってると思われたらどうしよう?」「 急に変わったと思われてしまう」
「 似合ってないのにどうしたの?やめとけば?とか思われるのが嫌」

だから嫌、だから無理となるのです。

自分の好きな服を着たからって、みんなから「あー! 」と注目されるとは限らないのですが、自分の好きな服を着たところを想像すると「 とてもイイ 」と感じるからなのでしょう。思えば思うほど他人からどう思われてしまうかを気にして着れなくなるのです。

どうして急に変わったと思われるのが何故そんなに嫌なのでしょう

「 でも・・噂とかされたら嫌だし。思われただけでもイヤだし」

噂されて、その先に何があるのでしょうか?その後の何が怖いのでしょうか?

「 でもイヤ、でも無理」

こうなってしまう原因は、実は自分の中にあります。
他人からどう思われるかを気にする人は、友人が急にいつもとは違う雰囲気の洋服を着ていたとしたら、それが似合っていればいるほど「なに張り切ってるの? 」と思ったり、少し意地悪なニュアンスで「どうしたの〜?」と言ってしまうでしょう。

自分が好きな服を着ることを勝手に諦めていながら、着たい気持ちは消えていない為に妬んでしまっているからなのです。
似合っていることに妬むだけでなく、自分には無い「変わるために行動する勇気」にもです。

人間は自分の考え方と他の人の考えが同じだと思っていることがあります。自分が人を見る時に妬みから意地悪な目で見てしまうから、自分も人からそう思われると思ってしまうのです。

「妬んでいた」そんな自分を認めてしまえば、いいなと感じた人を見たら「いいな」「 私もそうしたいな」と素直に思えるようにもなります。

自分がそうなれば、意地悪な人ばかりではなく「 いいな」と思う人も居るのだとわかり、自分が動きやすくなるのです。

好きな服で例えてみましたが、洋服でなくても、自分の本当にやりたい事や 望む生活も、失敗を恐れて動けないのではなく、「人からどう思われるか?」を恐れて動けない人が多いのです。

何事もやってみてから自分には合わないと知りやめるたのなら良いのですが、やりもしないで諦めてしまうと気持ちは不完全燃焼を起こし、それは妬みや嫉妬に変わってしまうこともあります。

そこまでは解っている、でも動けないんだ、と言うのでしたら原因はもっと奥深くにあります。
知りたい方はカウンセリングをご利用ください。

カウンセリングを受ける理由は何でもいいです

昨日のクライアントさん、
初めての方ではないのですが、お申し込みメールにご相談内容が書いてありませんでした。

当日、ご相談内容をお聞きすると、

「あ~、なんかね、むしゃくしゃして友達と長電話してたら携帯の通話料金あがっちゃってさ、だったらここ来た方が、まだね、(マシかな)と思って。」

私、大笑いしてしまい「そうでしたか。で、何がむしゃくしゃなんですか?」

「あー、なんだかんだで、結局は金欠ですよ、金欠。
それも絶対に自分が譲れない事に使ってるから仕方ないんだけど。その譲れないってのはね、3つあって…」

そこから雑談のような感じになりましたが、
最後にはむしゃくしゃの原因は金欠だけではなかったこと、
譲れないから仕方ないと思っていた事でも譲らざるを得ないことも、譲れるようにするには何をすれば良いか、
何からどう動いていくか、本当は何がしたいのかが整理できました。

カウンセリングを受けるは理由は何でも良いのです。
「何でもないんですが」こんな理由の方も結構います。

それでも対話の中で自分では分からなかった自分の中に在るものが見えてきます。

私も友人と話をしていて、全く関係ないような話から「ああ、私は今、これに悩んでいたんだ」
と気が付くことがよくあります。

イライラ、モヤモヤする理由が分からないという時もカウンセリングをご利用ください。

「離婚したい気持ちもあった」と認めたら

人は何か心に残っていることがあっても、何らかの理由でその正体を見ないようとしたりすることがあります。そうなると理由の分からないモヤモヤが残ってしまうのですが。

今回も「特に悩みがある訳ではないのですが」という40代の男性がカウンセリングに訪れました。

最初カウンセリングという仕事について色々質問をされ、それからご自分の経営する会社の話を中心に今まであった出来事をご自身を誉めながらストレートに話しました。

そして段々と今までにあった出来事を話し始め、学生時代の話、友人の話、過去の恋愛の話にもなりました。結婚してからの恋愛なので浮気なのですが、ある女性と交際していたそうです。

「あの頃から自分は変わったんだなぁ」その女性に会ってから自分の中にいろんな変化があったという事や、とても苦しい思いもあったこと、その女性にいつか自分の頑張ってる姿を見てもらいたいという気持ちがあったことがわかりました。でもその女性に「連絡をしたい」とは考えてないそうで「いつか、もし再会したら」とだけ考えていました。

当時は、浮気だし、離婚する気なんてないし、家族への責任、感謝や愛情もあるし、だから離婚なんて考えられなかったけど、本当にその女性のことが好きで「離婚したい気持ちもあったこと」も今分かったそうです。

この恋愛について話す前に、ある友人の話をしていたのですが、その友人のことを何度も「2回も離婚してるような奴だから」と貶していましたが、自分は彼女との別れを選んだのに、『どうしてこいつは簡単に離婚が出来てしまうんだろう』と羨ましい気持ちがあったことにも気がつきました。

この方は「後悔」をとても嫌い、自分が後悔していると思いたくない為、この女性のことを思い出すことも「女性と別れて後悔しているのではないか」と考えるのも避けていたのです。思い出すのは少し怖いような気持ちもあったと言います。

初めて「女性のことは本当に好きだったので離婚したい気持ちもあった」と認めたからこそ「でも、離婚しない道を自分は選んだ」「それで良かったと思っている」と改めてわかったようです。

そして、最近とても疲れていた事にも気が付きました。

「疲れてたから愚痴をこぼしたくなったのかなぁ」

何だか分からないけど無性に誰かと話をしたくなったそうです。

普段は女性のことを思い出すことも無かったし、もし思い出したとしても、友人等には「話せない」「言いたくない」訳ではなく「べつに誰にも言いたいと思わない思う」と言います。

疲れていたからこそ、その女性との楽しかったことを思い出しかけそうになり、でも思い出したく無かったので、心の中では正体の分からない敵と戦っているような、でも敵がいるのかも分からない状態です。なので理由の分からないモヤモヤができてしまったのでしょう。

女性について話した後には、疲れている原因について、その改善策について話し、カウンセリング終了後には「スッキリした」と仰っていました。