自由を阻む壁

「自由になりたい」と思う人は多いのだな、と本屋へ行くたびに思います。

店内でぐるっと本のタイトルを見渡すと

「自由な自分になる為に」「自由人になろう」

こんな感じのタイトルの本がいつの時もあります。

 先日SNSである年配の有名人女性が、自分の生き方、恋愛感について、 
「世間や常識ではこうでも、私はこうするの」と、「常人とは違う生き方をしている」
というような内容の記事がありました。 
「でも、こうやって自由に生きるのは大変なこともあるのよ」とも書いてありました。
 
読んだ人達のコメントには
「私もそう思っていました!」「それでいいんですよね!」「共感しました!」「感動しました」と

 「個性」と「自由」に感動しているコメントがとても多かったです。 


「世界に一つだけの花」という歌があります。
メロディーも良いですが歌詞が共感を呼び、人気のある曲だったと思います。 

そうさ僕らは 世界に一つだけの花 一人一人違う種を持つ 
その花を咲かせることだけに一生懸命になればいい 
小さい花や大きな花 一つとして同じものはないからNo.1にならなくてもいい 
もともと特別な Oniy one

そう、個性とは「持っていい」「持っている」のではなく、一人一人違って当然のもので、
「自由な生き方」もあって当然なのです。

でも、昔から個性や自由を尊重するモノは人気があるのです。

 「人気がある」というのはやはりそこに「特別」を感じるからであり、共感はしても「著名人」や「歌」は、
どこか現実とは違うものとして見られているので感動したり認めたり出来ているけど、
自分や、周囲にいる者、友人や近所の人のことになると認められない人が多いのではないかと思うのです。



お子さんが不登校になり、学校へ送り迎えしていたクライアントさんが 言いました。

「今回の事は辛いことでしたが、今までの私だったら、送り迎えしている親なんて見たら『なんて甘い親なんだ』と思っていたと思います。でも今は『何か  あったからなんだろうな』と思えるようになりました。
それだけではなく、今までは全てのことに対し、人がなにか自分と違ったことをしていたら、なんで!?と、いちいち思い、苛々していましたが、今は「そうなんだな」とだけ思えるようになり、そう思える自分になったのは良かったと思うのです」
 

同じようなことを言うクライアントさんは多く、痛みを知ったからこう思えるようになったのではなく、
自分の心を見つめたことにより、他人の個性や自由を認められるようになり、
他人の個性や自由を認めることにより、自分も「自由」になったのです。

自由になるとは、自分が自分のどんな想いも認められてしまうことです。

「自由になった!」との言葉で表すようなものではなく、もっと深く静かなものです。

自由を阻む壁とは、自分の心の中に在ります。

「個性」と「自由」 を尊重するものを見聞きしたときに、感動するのではなく 「そりゃそうだろ」と、
自然と冷めた気持ちで見つめられる。

そうなっていた時には自由を阻む壁の向こう側へ行けているのでしょう。

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