揺れを認める

モノクロ

「自分がどうしたいのか分からなくなる」という人がいます。
その原因のひとつに、「なんでも白黒はっきりさせようとする傾向」があります。

たとえば、ある食べ物が大好きだったとします。
それを連日食べ続けていれば、当然飽きもくるでしょう。
また、その日の気分によって「今日は食べたくない」と感じることもあるはずです。

ところが、そういうときに「私はもうこれが嫌いになった」と極端に判断してしまう。
さらにはそれを周囲に口にしてしまう。
すると、後になってまた食べたくなったとしても、どこかで抵抗を感じてしまい、結果的に食べなくなってしまうのです。

こうした判断は、たかが食べ物のこと、たいしたことのないように思えるかもしれません。
けれども、日常の小さな場面でこうした思考の癖が積み重なると、気づかないうちに「揺れることを許さない」自分ができあがってしまいます。
そしてそれが、もっと大きな選択や感情の揺れに直面したときにも、同じように極端な結論を出す癖につながっていくのです。

これは趣味や仕事など「好きなこと」に対しても同じことが言えます。
最初は夢中になって取り組めても、疲れたり、うまくいかなかったりする時期は誰にでも訪れます。
しかし、そこで「自分には向いていない」「やっぱり好きじゃなかった」と結論づけてしまい、手放してしまう。
これを繰り返していると、自分が本当に何を好きなのか、次第に分からなくなっていくのです。

大切なのは、
「今は疲れているだけかもしれない」
「今日は気分が乗らないだけかもしれない」
といった、自分の“揺れ”を受け入れることです。

その物事自体を否定するのではなく、自分の内側にある一時的な感情として認識する。
そうすることで、自分に振り回されることなく、本当にやりたいことにまっすぐ向かうことができるようになります。

あなた自身は、どうですか?

かつて好きだったのに、少しうまくいかなくなっただけで「やっぱり違った」と手放してしまったものはありますか?
それは本当に「向いていなかった」のでしょうか。
それとも、一時的な疲れや迷いの中で、判断を急いでしまっただけかもしれません。

「揺れている自分」と付き合う小さなヒント

迷いや疲れを感じたときは、無理に答えを出そうとせず、まず「今の気分」をそのまま受け止めてみてください。

たとえば──
• 日記やメモに「今の気分」を書き出す
• 「今日はやらない」と一旦決めることで、自分を守る
• 「それでも好きかどうか」を、少し時間を置いてから見直してみる

揺れることは悪いことではありません。
揺れの中にこそ、あなたの本音や本当の願いが潜んでいることもあります。

こうした思考の癖は、自分ひとりでは気づきにくいこともあります。
長い間無意識で繰り返してきたパターンであればなおさら、言葉にするのが難しく感じるかもしれません。

そんなときは、ぜひカウンセリングで一緒に、ゆっくりと紐解いていきましょう。
揺れを責めるのではなく、「本当のあなた」を見つけていく時間になります。

自分がどうしたいのか分からなくなる理由は他にもあります。
たとえば「他人にどう思われるか」を気にして、動けなくなってしまうことも。
それについては、また次の機会にお話しします。

「私、分かっちゃうんです」でも、それって悪いことばかりでは?

人間関係が上手くいかない、パートナーも友人も性格が悪い人ばかりだ、という方、いませんか?

世の中には本当に意地悪な人はいるものです。ですが、意地悪だと思う人が一人や二人ではなく、「周りの人は意地悪な人しかいない」と言うご相談者の中には、実際には言われても意地悪をされていないことを、言われた、やられた、と思い込んでしまってることもあります。

そしてそのような方達がよく使う言葉があります。それは、
「私、わかるんです」やっぱりなと思って」「馬鹿にされたされている)」です。


例えば、彼氏がとても自己中心的で意地悪で苦しんでいるという方だとしたら
※この会話は例えでありフィクションです。
 
「彼が、お前の行きたい場所なんて行ってられない、とか酷いことを言うんです」

− それは、いつ言われたのですか? −

「私が行きたいところがあるのに、彼にその話をしてもわざと無視されました」

− どのように無視をされたのですか? −

「テレビにその行きたいところが映っていたのに、ゲームに夢中なふりをされて無視されました」

− その時にあなたは、「ほらここ!私が行きたいところだよ!」とか言いましたか? −

「わざと無視されてるので言えないですよ、無視して私が言えなくなるのを楽しんでいるんです」

− その場所に行きたいと何回彼に伝えたのですか?−

「一回ですが、絶対覚えているはずです」

− ではその時に彼が「お前の行きたい場所なんて行ってられない」と言ったのですか?−

「…言われてはいませんが、絶対にそう思っているんです」

− どうしてですか? −

私、わかるんです」「普段からそう(意地悪)されているので」

ですが、他の「こんなこともされた、言われた」というエピソードも、詳しく順を追って伺うとやはり具体的には何か言われたりやられてはいません。

− では、彼は何故あなたにそのような事をするのでしょうか? −

「私のことを馬鹿にしているから」

− どうしてあなたを馬鹿にするのですか? −

「…わからないけど、性格が悪い(彼の)からじゃないですか」


彼以外の親しい人の話を聞いてみても、やはり同じような事をされている、言われていると言い、
同じように、いつどのように言われたのか、やられたのかを聞くとやはり具体的な事実ないのです。

「こういうことがあったから、もしかしてと思ったらやっぱりそうで、」と説明してくださるのですが、これも詳しく聞くと実際にはやられておらず、自分の中で「もしかして」と思ったことをいくつか繋げて事実にしてしまっているのです。

これは、カウンセラーに説明する時に嘘をついているつもりもないですし、大袈裟に言っているつもりもありません。
相手は絶対にそう思っていると思い込み、実際に起こっていないことでも自分の中では真実になってしまっているのです。

– では、確実にそうだったわけではないですね −
「いやぁ、なんて説明したらいいのかなぁ、私にはわかるんですよ」

本人は”勘が鋭い”と思っているようなのですが他の色々なエピソードを伺っていると、相手からの気遣いや優しさはわかっていないことが多く、良いことをされたとしても「この間、意地悪をしたから機嫌をとっている」「騙そうとしている」と言います。

例えば「その服、この間も思ったけど凄く可愛いよね」と言われたら
「2回しか着てないのに同じ服ばかり着てると嫌味を言われた、この人は意地悪だ」と捉えてしまったり。

自分にとって良いことは見えず、自分を悪く思うことだけ勘が働くなんて悲しいですよね。

ですが、相手の事を散々意地悪だ、性格が悪いと悪く言ってはいても
もし「じゃあそんな意地悪な人とは離れてしまえば?」と言ったとしたら、それは嫌なのです。

何故ならばこのような方が「意地悪をされる」と言う相手は自分こそが離れたくない人だからです。

離れたくないからこそ、もし嫌われたり浮気されるようなことが起こって傷付いてしまうなら、傷付く前に先回りして気がついておきたいという防衛本能から、離れたくない人にほど悪く捉えてしまうのです。

これは、悲しいことに幼い頃から愛情を感じ、安心して成長できなかったことが原因に多く、自己肯定感が低さから無意識に「私は馬鹿にされる存在であり、人から大切にされるはずはない」と思い込んでいるからです。

誰とでも付き合い始めはいいのですが、根底に『こんな自分は大事にされるはずがない』との思いがある為、無意識に自分が大事にされていない証拠のようなものをいつも探し続けています。そして親しくなるにつれて自分に不都合な些細なことがあると『やっぱりね(私の事は大事にしてない)』と思い、実際には言われてもいないことも『言われた』『やられた』と思い込みます。そのほうが自分の中ではしっくりくるのです。
 
また、自分は受け入れらていないとの思いから、自分の要望を相手に伝える勇気がありません。

前述の例えの会話の中で、”彼に自分の行きたい場所をもう一度言う”すら言えないのも、自分なんかの願いなんて聞いてもらえないと思うので伝えないまま不満を募らせます。

そうして周囲には意地悪な人ばかりいると思っているので常に愛情に飢えています。
誰かから少しでも優しくされたりすると直ぐに『やっと安心できる人をみつけた』と思いますが、少しして些細なことでも嫌な事だと思われる出来事があると『やっぱりこの人も』となり、『私の周りには意地悪な人しかいない』と思いこむ悲しい悪循環になっている方もいるのです。

相手からされた嫌なことばかりに「やっぱりね」とよく思い、よく考えてみるとそれは自分の勘からそう思っていることがある…と言う方は一度お話に来てみませんか。何故あなたが馬鹿にされ意地悪ばかりされる存在なのか、そう思ってしまうのかを一緒に紐解いていきましょう。

信頼を取り戻すために

信頼を取り戻す

会社での人間関係について、「自分のミスがきっかけで関係が悪くなった」とご相談される方がいます。
明らかに自分のミスであり、きちんと指導も受けていた場合です。

「謝ったのに許してもらえない」「嫌われたように感じる」「何度も謝ったのに関係が戻らない」──そんな風に感じている方も少なくありません。

しかし実際には、“失敗そのもの”ではなく、
謝罪の仕方やその後の振る舞いが関係悪化の原因になっていることもあります。

また、実際には嫌われていないのに、「嫌われた」と思い込んでいるケースもあります。

これは会社に限らず、あらゆる人間関係に言えることですが、謝罪の基本はシンプルに徹すること。

相手からの質問にはきちんと答えた上で、必要な説明が終わったら、
「申し訳ありませんでした。以後、このようなことがないよう十分気をつけます」

これだけで充分です。

どれだけ長く理由や反省を述べても、相手にとっては“迷惑をかけられたうえに時間まで奪われる”ことになりかねません。
だらだらと言い訳を続けるより、まずは簡潔に謝罪し、今後の改善について伝える方がずっと効果的です。

信頼できる人に対して「やたらと長く話す人」という印象はないですよね。
謝罪も同じです。

信頼を取り戻すのに必要なのは、言葉の多さではなく、謝罪後の行動です。

そして、関係が悪くなったように見えるとき、それは「相手が怒り続けている」のではなく、
「自分が、相手から不快に思われている“時間”に耐えられなかった」という場合も多いのです。

自分のミスで迷惑をかけたのは理解していても、相手が以前のように笑顔で話しかけてくれないからといって、
萎縮したり、オドオドし続けたり、「反省してます…元気もありません…」といった暗い態度を取り続けると、
かえってその雰囲気が新たな不仲のきっかけになるかもしれません。

早く以前の空気に戻りたい──そう思うのは当然ですが、相手が無視したり怒鳴り続けているのでなければ、
それは単に「自分が気にしすぎている」だけという可能性もあります。

そっけなく見えるのは、忙しくて余裕がないだけかもしれません。

仮に相手が本当に怒っていたとしても、迷惑をかけたのは事実です。

失敗の度合いにもよりますが、「いつも通りではない時間」がしばらく続くのは、ある意味自然なことです。

また、「嫌われた」と思い込みやすい人には、普段の行動パターンも関係しています。

遅刻や欠席が多かったり、日頃からルーズな印象があると、相手からの信頼が薄くなり、
自分でも「信用されていない自分」を意識してしまうことで、「怒られている」「嫌われている」と感じやすくなるのです。

大切なのは、同じ失敗を繰り返さないことに日々気をつけること。
それが本当の意味での“反省”であり、遠回りに見えて信頼を取り戻すいちばんの近道になるのです。

また会いたい、この人と話したいと思われるために

先日、私はある展示会に行きました。会場で久しぶりに会う友人二人と待ち合わせをしていて、三人集まった瞬間は嬉しくてみんなで盛り上がっていました。
そこに、去年同じ展示会で初めて会った女性が来ました。
去年初めて会い、それきりなのですが、この女性のことはよく覚えていました。話していてとても疲れたからです。
私は知らない人と話すのは苦手ではありません。
でもこの女性は話しかけてきたかと思うと、そこから止まらず1時間は話していました。
展示物が見れないので途中何度か「では」と言って女性から離れるのですが、後をついてきてはお話を続けるのです。
「では、静かにじっくり観たいので失礼します」そう伝えても1分位は黙っているのですがまた話し始めるのです。
なのでよく覚えていたのです。

女性も私を覚えていたようで私達に駆け寄ってきました。私から軽く「この方は去年ここであった方」「この二人は私の友人」と紹介しました。私と友人達は再会の喜びで熱く盛り上がっていた最中だったのでまた三人で話し始めると、女性が会話を割って友人の一人に話しかけてきました。
「お国はどちらなんですか?」
友人が国を答えると
「そうなんだ、アルゼンチンの方かと思ったわ!なんでそう思ったかというとね、私はタンゴをやっているからね、アルゼンチンだと思ったの。タンゴはやってまだ○年なんだけどね!今日もレッスンをしてきたんだけどね、それでね、こうでね、」
一問されて一答したら、そこから女性の話はノンストップで続きました。
おそらく友人がどこの国の人かなんてどうでも良かったのでしょう。ただ自分の話がしたいのです。

小さな目標を意識する

私は絵を描く事が好きです。とは言っても描きたい時にしか描いていません。
たまにギャラリーからお声がかかった時は展示会に出展しています。お声がかかるのはとても嬉しい事なのですが、いかんせん描きたいモノが浮かんだ時にしか描いていないので沢山の枚数を要求されると困ってしまいます。

最近、前回の展示会からあまり時間をあけずにお声がかかりました。嬉しいですし、まあ大丈夫だろうと引き受けたのですが、これがのちにとても後悔することになりました。

私の絵の殆どは何かを見て描くものではなく、頭に浮かんだイメージなので、描きたい時というのは頭にイメージがあるからで、途中イメージ通りにならなくて苦しいこともあるのですが頭の中の完成図に向かって筆を進めていくことが出来ていました。
ところが描きたいものも無く、とにかく描こう、枚数を増やそうと思いながら描いてみたら、キャンバスを目の前にして『ここには何を置こうかな?』『ここはどうしよう?』と考えながら描くので、描いては直しを繰り返し、全く進まないのです。
ただ景色を描くのならきっと普通に描けると思うのです。でも私にとっては描きたいモノではありません。

なんとなく描きたいモノを描いていましたが、そうなると描く気力もないまま時間ばかり費やしていく。途中に『イメージに近づいてきた!』という喜びもない。そうしているうちに段々と『自分はつまらない絵しか描けないのではないか、』『こんな絵を描いて何になる』と自信も無くしていきました。この日々が本当に辛かった!

それでもどうにかこうにか何枚か描きましたが、描いている期間の悶々とした日々の中、目標がないことの“動き辛さ”を痛感しました。

これは私の絵の話に限らず、人は何か目標がありそこに向かっていれば強く、楽しいことも多くいられます。目標があれば途中で上手くいかないことがあっても、失敗しても、だからこそ小さな成功や進展が大きな喜びになり、それ以外の“他人は何をやっているか?”や“自分は人からどう思われているか”なども気にならなくなるのです。目標がある人が魅力的に映るのは他者を気にせず自分を生きているからでしょう。

クライエントさんには、「楽しい事がない」という人もいるのですが、目標が楽しく生きる事に繋がるとしたら、目標とは簡単に出来ないことだからこと目標です。なのでそれは大きなことばかりでなく、“面倒なこと”でも良いのです。

面倒なことを意識して『今日は帰ったらすぐにお風呂に入ろう』『嫌な事ははっきり断るようにしよう』でも目標です。日々の小さな目標を意識し「できた!」を実感していくだけで大袈裟ではなく人生が変わっていくでしょう。
続くポイントは、そもそも“自分には簡単では無いこと”なので、出来ない時があって当然なので、出来なくても落ち込まず、投げずに次はやろうとするです。

『大きな目標を持ちたい、けど無い』『何を目標にして良いかわからない』という方は目標を持つ前に無意識の中で『いやいや、こんなことは絶対に無理』と思い浮かんでこないのかも知れません。逆に「目標はあるのに、やる気が起きない」という方は、それが本当の目標では無いのかもしれません。このような方はどちらもカウンセリングで改善できます。お気軽にお申し込みください。

ご無沙汰しております

ご無沙汰しております。サイトを新しくしてからブログはまめに更新しようと思っていたのに、すみません。

それにしても毎日異常な暑さですね。コロナで外出を控えて、コロナが治まってきたと思ったら、また感染者が過去最高まで増えるし、加えてこの暑さで嫌になります。

うちには成人した子供が二人いて二人ともテレワークです。子供達と仲は悪くない方だと思うのですが、子供達のテレワークで一人の時間が取れなくなってしまったのが辛いです。

子供達と24時間ずっと一緒に過ごすのは子供達が幼稚園に入る前以来なので20数年ぶりです。誰かがいると何かが遣り難いとかではなく、息をつく間がないというか。そのうち終わるだろうと思っていたのに3年目ですもんね。

日中だけでなく、私は元々夜更かしが多かったので子供達が寝てから一人で過ごす時間も好きでした。

でも今は、始業時間の5分前に起きる子供たちの方が寝る時間が寝るのが遅くて大体いつも3〜5時です。仕事はちゃんとやっているし、成人した”子供”に親の都合で「早く寝なさい」なんて言ったところで、スマホの画面を見たまま「うん」という返事が来るか来ないかで寝やしません。一緒になって楽しく話している日もあるのですがね。

ご主人が定年退職した後に一日中家にいると鬱になる奥さんがいますが、今まであった一人の時間が急になくなると、仲の良い相手でも辛いものです。私のことばかり言ってますがきっと子供達も辛いです。

こんな愚痴をこぼしている間にコロナも終息するかと思っていたのに3年目に入り、もう愚痴をこぼしている余裕もなくなってしまいました。ストレスで体に異変も出てきたからです。

なので最近は私が早寝早起きすることにしました。早くといっても22時頃に耳栓をして寝ます。すると4時頃には目が覚めるので子供達が起きる時間まで5時間もあります。5時間シーンと静まり返った家に居られる。これでかなり楽になりました。

あとは運動ですね。市営のプールに通い始めました。進んでいるのかって位ゆっくり30分だけと決めて泳いでますが、これだけでも心が元気になります。

どうしようもない環境の中でストレスが溜まる。全ての環境を変えたいと思ってしまいがちですが、諦めるところは諦めるしかないので諦めて、相手に期待せず求めず、自分で少し何かを変えたり始めたりするだけで楽になると思います。

「虚言癖」嘘の特徴と原因・「嘘つき」との違い

彼氏に虚言癖があるという20代の女性からご相談がありました。
「交際して4ヶ月。嘘をつく以外は優しいし、私は彼の嘘に突っ込めるから良いが、仕事が長続きしないのは虚言癖が原因かもしれない。結婚の話が出ているけど、今の仕事が続くのか心配だし、子供が生まれてからも嘘をつき続けていたら子供にも影響しそうで怖い。結婚に不安がある」

隠し事があって嘘をつくのでもなく、保身のためでもなく、誰かを貶めたいのでもなく、「ありえないような大きな嘘」を何度もつく人に会ったことはあるでしょうか?

小学生の頃に会ったことがあるとしても、大人になってからは会ったことが無い人が多いと思います。

大人になってからこのような嘘をつく人に出会うと『大人がこんな嘘をつくはずがないだろう』と、最初は冗談だと思ってしまいますが、嘘の回数が増えてくると冗談ではないのだと分かります。そのため「何の為にこんな嘘をつくのだろうか?」と周囲の人を困惑させてしまう虚言癖という癖を持つ人がいます。


「虚言癖」という言葉を知っている人は多いので虚言癖のご相談を受けることがありますが、本当に虚言癖がある人はあまりいません。虚言癖とは「何度も嘘をつく人」のことだと思っている方が多いのですが、保身の為に嘘をつく「嘘つき」と「虚言癖」は違うのです。

虚言癖とは

虚言癖(きょげんへき)とは、どうしても嘘をついてしまう人間の性質をあらわす専門用語で、1891年にドイツの心理学者アントン・デルブリュックによって提唱された俗語です。

虚言癖については色々と言われていますが、何らかの精神疾患のように妄想や幻覚と現実の区別が付かなかったり、誰かを傷つけてまで嘘をついて注目を浴びたり、誰かをおとしめる為でもなく、本当にあった出来事を大袈裟に話すのでもなく、詐欺など罪を犯すのでもない、特に大きな目的もない嘘を日常的に簡単につく癖です。

「嘘つき」との違い

冒頭の女性のように「嘘」が悩みとしてのご相談は「虚言癖」であることが多いのですが、「主な悩み」+「虚言癖もあるようだ」とご相談される方の殆どは虚言癖ではありません。

ご自分で「私には虚言癖がある」と言う人の嘘の内容を聞いてみると、宿題が終わっていない子供が、親から「宿題終わったの?」と聞かれ、怒られるのを恐れて咄嗟に「終わった」と答えてしまうような嘘が多く、「理由がある」「嘘」をつき、嘘の内容をしっかりと覚えていて、嘘をついたことを自分の口から話せて、反省できるようなのであれば虚言癖ではありません。

「彼が浮気を繰り返す。虚言癖もある」という方も「彼が浮気を繰り返す。怪しいと思った時に問いただしたら嘘をつかれた。浮気中に私の機嫌をとるために嘘をついたこともある。もう浮気をしないと約束したのに、また浮気をした。嘘ばかりつく」
この彼は自分の保身のために嘘をついているので「嘘つき」です。虚言癖ではありません。

通常、嘘をつく場合には何らかの大きな理由があったり、必要に駆られて仕方なく嘘をつくもので、嘘をついたらどうなるかまで考えて嘘をつきますが、虚言癖の場合は後先も考えず、必要でもない嘘を日常的につくことが癖になっているのです。

「嘘つき」は何かを隠すために嘘つくので、嘘を指摘されると逆ギレすることがありますが、虚言癖の人は嘘をついている時以外は大人しく、嘘を指摘されても聞こえないふりをしたり、黙ってしまうことが多いです。

特徴

  • 思いつきで突然ウソをつく
  • 1の話を10にして大袈裟に話すのではなく、0から作った嘘話をする
  • 普段は大人しいが、嘘をついている時は明るく多弁になる
  • 誰かに起きた出来事の話になると、自分も同じような事があったと言い出す
  • 明らかに嘘だろうと思う話をしていてもオドオドもせず高揚しながら話す
  • つじつまが合わない嘘をつく
  • 嘘を疑われたら嘘を重ねるが、後で全く違う嘘をつく
  • スケールの大きすぎる幼稚な嘘をつく
  • 嘘が悪いという意識が全くない
  • 嘘を咎められても反省しない・嘘をついた理由にも嘘をつく
  • その場で嘘を指摘しても、無視して話し続ける
  • 必要のない嘘をつく
  • どちらかといえば地味なタイプである
  • 嘘をつく事以外で注目を集めようとする行動はしない
  • 借金を抱えていることが多い
  • 何をしても守ってくれる人がいる(親が多い)

虚言癖の「嘘」の特徴

自分の保身の為に嘘をつくことも勿論ありますが、自分が何か得することでもない、目的もない幼稚な嘘を「後で嘘だとバレたらどうしよう」という心配もせずに簡単につきます。疑われるとさらに嘘を重ね、本人は信憑性のあることを付け足しているつもりでとても幼稚な嘘を重ねていきます。

例えば、誰かが好きなアイドルの話をしていると、「そのアイドルと付き合っていたことがある」「友達の彼女だった」と言う。「良い子だったよ」「ちょっと病んでて大変だった」「あまり話しちゃいけないんだけどね」と加えたりする。

交際相手に「今まではモデルとしか付き合ってこなかった」と言う。

誰かが車を買ったというと「自分も以前、同じ車を持っていた」と嘘をつく。そこで「何年前に買ったの?」と聞かれたら「5年前」と即座に答える。「5年前には販売されてなかったよ」と言われたとすると、「社長と知り合いで、発売前に特別に売ってもらった」というように嘘を重ねます。

良いことばかりではなく、誰かが病気になったと聞けば「自分もその病気になったことがある」と言い、誰かが怪我をしたと聞けば「自分ももっと大きな怪我をしたことがあってね、」と話し出す。手術の話なら、手術痕がなくても「手術をした」と言う。悲しい話なら涙を流しながら話す。

任侠映画の話題になれば、実は親や親戚がヤクザだったと言いだす。

誰かから出た話題でなくても、突然「今日さ、こんなことがあってね」と、ありえない話をしだす。

「著名人と知り合いだ」「こんな仕事をしていた」「こんなに稼いでいた」等、
『そんな凄い人が、なぜ今ここにいるの!?』と思うような発言(嘘)をする。

このような幼稚な嘘を後先を考えずにつきます。嘘をつく相手は好きな人も嫌いな人も関係なく、負けたくない人でもなく、上司であろうが嘘をつき、一つの嘘を突き通すこともなく同じ物事についての話が後から二転三転します。

疑われたら嘘を重ね、慌てることもなく話が大きくなればなるほど高揚しながら話します。

単発的な嘘ではなく、ストーリーがある嘘もつきます。

嘘の実例

彼氏 30代前半

彼女が自分の友人に彼氏を紹介した。彼女が友人のことを「◯◯ちゃんは◯◯大学(超難関大)なんだよ」と彼に言うと、「僕も◯◯大学出身だよ」と、友人と同じ超難関大出身だと言い出す。彼女が慌てて「何言ってるの⁉︎どうしたの?」と彼をつついたり、「ちょっと、やめてよ」彼に言っても彼は無視。 彼女が友人に「冗談だからね、」と言っても、彼は彼女を無視して、友人に向かい自分がその大学に通っていた話を真顔で続ける。在学中にYouTuberを始めて直ぐに何億か稼ぐようになったから忙しくて大学を辞めた。でもバイクで転倒し怪我をしたのでYouTuberはやめた。その時に保険が(何らかのトラブルで)切れていて、事故で破損したものを弁償する為にYouTubeで稼いだお金はほとんど消えた。「ほら、事故の時の傷」と、袖をまくって腕の古傷を友人に見せる。三人で会話するのではなく、彼一人で興奮して話し続けていた。

この彼は普段から『ありえない話』をすることが多く、彼女はYouTuberの話は初耳。大学も全く違う大学を出たと聞いていた。腕の傷は、幼い子が車に引かれそうになっていたのを助け、自分が代わりに車に轢かれた時に出来た傷だと聞いていた。友人は、彼の大学の話がおかしいので直ぐに彼が嘘をついているのは分かったそうですが「嘘ですよね」とは言えず黙って聞いていたそうです。彼女の友人には同じ大学だと話し、彼女のお母さんに会った時は違う大学の話をしていました。彼女が後から何が真実なのかを面と向かって聞いても無視して他の話を始めてしまうそうです。

ある男性社員 30代後半

入社して3ヶ月の男性社員が社内に一人でいた。他の社員が戻ってくると、「さっき強盗が入って来た。何とか戦って追い出しました」と言う。手には擦り傷があった。大騒ぎになり防犯カメラを見てみると強盗らしき人物は写っていない。男性を問いただしても何も話さない。きつく問いただすと「そう言ってみたかった」とだけ言う。警察を呼ぶとなった時も「呼ばなくていい」とも言わなかった。特に何かミスを隠そうとしたのでも、仕事をさぼっていた訳でもない。

この男性は口数は少なかったが普段から上司にも同僚にも『どう考えても嘘だと思うような話』をすることが多く、同僚には「履歴書には嘘を書いたが本当は昔、弁護士をしていた」他の人には「以前は会社を経営していた」「関係を持った女性が4桁にいきそうだ」と話していた。

なぜ嘘をつくのか?

保身の為もありますが、注目されたい、かっこいいと思われたい等、嘘をついているその瞬間だけ気分が良くなる為に嘘をつきます。

どんな嘘をついのたかを忘れてしまうことはあっても、妄想を現実だと思っているのでもなく嘘だと分かっています。それでも平気なのは「嘘」に対しての認識が歪んでいて「悪いこと」だとは思っていないからです。自分以外の人も会話の中で嘘をついていることがあるだろうと考えています。

特に想像力に優れているのでもなく、ただ「こうだったらいいな」「こういうことがあったらいいな」と思いついた事をそのまま口にしている。要するに悪気はない。

嘘を悪いとは思っていないが、嘘をついた人や場所であまりにも居心地が悪くなってしまうと、仕事を辞めたり、連絡が取れなくなってしまうので仕事や人間関係が長続きしない。仕事を辞めた理由も周囲の人には嘘をつく。

原因

過去のトラウマやコンプレックスが原因だと言われていますが、幼い頃からに嘘をつき続けていたことと、嘘が許されていた環境から「嘘」に対しての認識が歪んでいることが原因だと言えます。

コンプレックスが原因だと考えられてしまうのは、嘘をつくことに慣れてしまっているために努力して得た達成感よりも「嘘をついているその瞬間だけ気分が良くなる」ことが快感になり努力を怠ってしまうことが多い為、現実は見た目も生活もとても地味にしているか、逆に派手にしている人が多かったりと極端なのでコンプレックスが原因だと思われてしまうのでしょう。

虚言癖を持つ人に共通しているのは、親が何らかの理由から非常に甘やかして育てていたり、無関心だからこそ子供の話をまともに聞いていなかったり、どちらにしても、親が子供の嘘を悪いことだと考えてない

子供が嘘をついていると分かっていても「子供は嘘をつくものだ」「可愛い嘘」と捉え、『悪いことを隠そうとしてついた嘘』ではないなら悪いことではないと考えている。

例えば「僕、今日ね、悪い大人に誘拐されそうになったけど、戦って逃げてきたよ」というような嘘話をしても、親は『子供の可愛い嘘』だと思い「すごいね!◯◯君は強いねー!」と褒めながら聞き続けてしまう。

大人になってからも、他人から「あなたの子供からこのような嘘をついて迷惑がかかりました」と言われても、親は「そのくらいの嘘で騒がれて◯◯(息子の名前)が可哀想だ」と答えたケースや、

結婚してから夫の虚言癖に気がつき、それでも仕事は真面目だからいいかと思っていたが、夫は結婚直後に仕事を辞めていて、借金をして給料をもらっているふりをされていたという女性は、夫の母親に事情を話すと、母親が借金を肩代わりすると言い「嘘くらいついちゃうことあるわよ。私が払うんだからもういいでしょ、許してあげてちょうだいね」と、幼い子を庇うような発言をしたケースもある。

親が幾つになってからも「いつ親元に戻っても大丈夫」という安心感を与えているからか、虚言癖を持つ人は孤独を恐れていないことが多く、嘘をつくことで恋人に振られたら嫌だ、離婚されては嫌だと恐れることがないのです。


また、大人になるにつれ周囲の人間が「嘘をつく人」を相手にしないというのも原因だと言えるでしょう。
子供でも虚言癖がある子はいますが酷いのは小学生の低学年の頃までで、それ以降は大人しくなります。何故なら、子供は嘘をついてばかりいると周囲の子供から「嘘だ!」「嘘つき!」と指摘されます。それが嫌なので黙るからです。

しかし、大人になると陰で噂をする人はいても、嘘を指摘する人は殆どいなくなります。『この人はよく嘘をつくな』と思っても『指摘するのは悪い』『触れてはいけない』と思うので聞き流したり、いちいち反応するのも疲れてしまうので聞き流されます。それを虚言癖がある人は、嘘を信じていると勘違いするので大人になるにつれて嘘がエスカレートしてしまうのです。

虚言癖は治るのか?

本人が強い意志を持って「直したい・治さなければならない」と思わなければ治るのは難しいでしょう。

人が変わる一番の方法は、実は「恐怖」だとも言われているので、人からの信用を失う、恋人に去られる事が「恐怖」となって『嘘をついてはいけない』と思えるのならいいのですが、嘘が原因で仕事を辞めることになっても、友人を失っても恋人に去られても傷つくこともなく、新しい場所で出会った人には同じことを繰り返す人が殆どです。

何があっても支えてくれる親や、借金を肩代わりしてくれる人もいなくなり全てを失った時に初めて「このままじゃマズい」と感じ、生活のために職場では大きな嘘はつかなくなるかも知れませんが、『嘘をついている瞬間だけ気分が良ければいい』という生き方を長く続けていれば、全く嘘をつかなくなるということはないかも知れません。

治す方法があるのだとすれば、身近な人が嘘を聞き流さず、根気よく嘘を指摘しながらも愛情を注ぎ続け「嘘は必要ないのだ」「嘘で得た快感よりも良いこともある」ということを、長い時間をかけて教え続けるしかないのかも知れません。

まとめ

虚言癖のある人は嘘をつく以外は穏やかで優しい人が多いので、周囲の人が嘘をつかれて迷惑がかかったからではなく、心配から助言をしても、助言してくれた人から離れてしまうことが多いのです。

好きな仕事にも就けず、誰かと長く付き合うこともできず、両親も亡くなる前に「瞬間の快感のために、いつかは孤独になってしまう」「嘘をつかなくたって十分に人から好かれる」ということを知って欲しいです。

「好きなこと」を見つけたいなら「嫌なこと」をやめてみる

今日最後のクライアントさんは都内在住の若い社長さんでした。

ご相談内容のカウンセリングが終わった後にお仕事について話をしていて、私が「好きなことが出来てるんですね~」と言うと、「好きな事が出来ていると言うより、独立してからは嫌な事をやめられたのがいい」と仰いました。

嫌な事とは、
「以前勤めていた会社はとても儲かってはいたのですが、お客さんが騙されている、とも思っていないのですが・・・。けど自分で良いと思えない物を人に勧めることが苦痛だったので、独立してからはその苦痛が無いのです。独立するまでも、今も、大変なこともあるけど、その大変さのプロセスさえ楽しめていて、そしたら結果もついてきてくれています。自分の人生で長い時間を過ごすものは、なるべく気持ち良く過ごしたいのです。一生は一度きりだし」

『好きな事をやっていると言うより、嫌な事をやめられたからいい』

そうなのです。「自分らしく生きる」そのために「好きな事を見つけよう」と聞きますが、好きな事とは見つけるのが難しいこともあるので、それなら「嫌な事をやらないようにする」これが「自分らしく生きる」に繋がり、好きなものが残るのです。これは仕事だけではなく、友人などの人間関係もです。

それでも、避けられないと思うようなことや、簡単にやめられないと思い、悩むかも知れませんが、どんな事でも、誰かや 何かのせいで動けないと思っているような事でも、

「やめるには大変だろうけど、嫌だからやめる」と「嫌だけど、やめるのは大変だから我慢する」

どちらも嫌だとしても、“今は”少しでも「まだこっちの方が良い」と思うほうを自分で選んでいるのです。

それでも「やっぱり嫌だ、やめたい」・・「でも、できない」と思う方は、一人で考えているので同じ思考から出られなくなっているので「できない」と思い込んでいる可能性があります。そのような方は一度カウンセリングをご利用ください。

「不幸な人」だと思われたくなかった

風邪気味だったような気がするけど仕事を休むほどではなかった、なのに休日になった途端悪化してしまったという経験はありませんか?こうなってしまうのは、無理をしていて悪化してしまったということもありますが、仕事中には気が張っていて症状を気にしていられなかったということもあります。

今回のクライアントさんも心身ともに忙しい日々が続き、忙しさから開放されると急に体の不調に気づき、同時に心がとても疲れてしまうことがあり悪化してしまったケースです。

60代 女性 無職
【ご相談内容】
ご主人が2年間の闘病の末、死去。主人が亡くなってから少しして自分も病気になり、最初の病気になってから次々と他の症状が増えていく。現在の病名は7つ。心療内科や精神科も勧められたので通ったら不安障害になっていると言われ、また病気が増えてしまった。医者からは「心配し過ぎないほうがいい」と言われるが不安でたまらない。医者も信じられない。どうして良いのか分からない。病院は4回変えている。(お子さんの性別は伏せます)

電話カウンセリング60分

一人暮らし。持ち家でご主人が財産を残してくれたこともあり生活は困っていないそうです。

ご主人の看病をしていた時に、今の症状はありましたか?とお聞きすると「ありませんでした」と言います。

主な症状はめまい、高血圧、吐き気、微熱、動悸、背中の痛み、不眠でしたが精神的なものではない病名もついています。

お医者さんはどの病についても「薬を飲んで様子を見ましょう」と言うが、どの症状も薬を飲んでも一向に良くならないそうです。



関係ないようですが、どのような友人がいるのか、友人関係についてお聞きしました。
すると、

「主人が亡くなってから友達や近所の人達に会うと『どうしてるかと思ったけど割と元気そうじゃない!』とか『元気出してよ!』と言われる。家にいれば『外に出なきゃダメよ』と友達が訪問してくるから疲れる。体調も悪いから誰とも話したくないし、会いたくない」

善意なのでしょうが少し鬱陶しいですね、と言うと、

「そうなんです!普通にしているだけで、『その調子!』とか言われるし」

ご近所さんの話をしている途中で話してくれましたが、ご主人が亡くなる一年半前にお子さんが癌で亡くなり、お子さんとご主人の看病が重なっていた時期もあったそうです。

「周りの人から子供に続いて主人が亡くなってしまうなんて可哀想にって言われるし、そんなこと言われてもなんて答えていいのか分からないし」

善意だとは分かっていても、あまりにも励まされたり同情されると「不幸な人」だと思われているようで嫌ではないですか?

「そうなんです、本当にそうなんです!子供と夫が亡くなって皆んなから不幸な人と思われているようで。(命って)そういうものじゃないでしょ!だから外にも出たくないのに、不幸なことがあったから元気がないと思われるのも嫌で、」と泣き出してしまいました。

人生は長さよりも濃さで、長く一緒に居たかったとは思っても、短いから不幸ってことはないですよね。と言うと、お子さんがどれだけ豊かで幸せな経験をしたか、本人も自分は幸せだと言っていたと話してくれました。


家族が亡くなったことで「可哀想に」と言われ、そのうえ自分までが病気になったら、「不幸な人だ」と思われそうで嫌だからと、体調の悪いところは早く治さなきゃと必死になっていませんでしたか?とお聞きすると

「あります。今思えば、だから悪くなる前に早く治さなきゃと思っていたと思います、なのに病気は増えていくばっかりで、」

『不幸な人だと思われたくなかった』という気持ちが強かったことには今気がついたそうです。家族が病で二人亡くなったばかりなので「病=死」と考えてしまう怖さもありましたが、それよりも周囲の人から「不幸な人」「不幸な家」のように思われたら、お子さんとご主人のことを悪く言われているようで嫌だったそうです。

落ち着いてこられたので、お子さんが病気がわかった頃からのお話を伺うと、お子さんが入院してからは毎日病院へ通わなければいけない訳ではなかったけど心配で毎日行かなきゃ落ち着かなかった。お子さんの病気についてや、心配からの辛さはご主人とよく話していたのにご主人も癌になってしまった。それからは心も体も休まる日が無かったと言います。

そのような状態なら、めまいや動機はその頃から少しはあったのではないかとお聞きすると、やはりあったそうです。
最初にお聞きした時には「ありませんでした」と言っていましたが本当に思い出せていなかったのです。

お子さんの病気がわかってからずっと気遣い、心配し、心が落ち着かない状態で毎日病院へ通い、お子さんが亡くなってからも悲しむ間もなくご主人の看病をしている生活が続く中では、自分の体調は気にしていられなかったでしょうし、気がついたとしても、倒れてしまうようなことにならない限り休むなんて考えられず、病人を目の前にすると自分の症状くらい大したことないと思えてしまっていたからなのでしょう。

忙しさが無くなり自分にも目が向けられるようになったので急に体調が気になってしまったのでした。そこにきて家族が亡くなったことで近所の方から「可哀想に」と言われるのが嫌で、自分まで病気になったら何を言われるか分からないという焦りと不安から体調が悪化していました。
これは気にし過ぎなのではなく、家族をなくされてから周囲からのこのような言葉や同情に苦しむ人は多いのです。

善意からとはいえ、私は「心無い言葉」だと思います。善意20%くらいで後の80%は何も考えていない発言だと思うからです。中には「お祓いに行けば」と言った方もいたそうで、これはもう暴力です。誰かの人生を他人が「可哀想」「不幸」と決められるものではないのです。


「不幸な人だと思われたくなかった」と思っても仕方がなく、その思いから不安で焦っていたと言うことに気づかれると、お医者さんの話も信用できるようになったと仰り、改善されないので心配で増やしてもらった薬もあるので減らしてもらうことにするそうです。

友人やご近所さんからの励ましや同情された時の対処をアドバイスさせていただき、最後にはご主人がどのような人だったのかをお話ししてくださいました。ご主人はとても優しい方で、面白いし、お互いに何でも話せる友達のようでもあり、この歳でも大好きだったそうです。そんな男性と出会えたなんて本当に幸せな人生だなと思いました。

パートナーと死別され、友達とも話したくないという方は、パートナーと死別された方達の交流会が全国にあるそうなので「未亡人会」「没イチの会」で検索してみてください。※マグノリアは関係ありません

「心の原因探し」だけで前に進めないときに


原因探しを続けても前に進めないことがある

「いくつか療法を受けてトラウマも理解でき、癒された気もするのに、思うように改善しない。だから、まだ別の心の原因があるのではないか?」
そう感じる方は少なくありません。

確かに、他の原因があることもあります。原因を知ることは大切です。ただし、原因には「認めやすいもの」と「認めにくいもの」があります。
認めやすい原因は親との関係や他人との出来事。
認めにくい原因は、誰にとっても「嫌なこと・面倒なこと」です。

単純すぎて見過ごされる原因

たとえば、仕事に行けなくなり退職。トラウマも理解し、社会復帰を目指しても仕事を探す気になれない、働いても続かない。そんなとき、人は「まだ心の奥に原因があるのでは」と探しがちです

けれども実際には、

  • 朝早く決まった時間に起きるのが面倒
  • 満員電車が嫌
  • 働きたくない
  • 人と関わるのが億劫
  • など、あまりにも単純すぎる原因が大きく関わっていることもあります。

これは弱さや怠けではなく、人として当然の感覚です。長い間「通う生活」から離れると、外に出ることや働くことが億劫になるのは自然なことなのです。

単純すぎて見過ごされる原因

現実的な問題を解決する視点も必要です。
この「単純な原因」を無視してしまうと、解決が進みません。心の問題だけを探すのではなく、現実的な課題にも目を向けることが大切です。

たとえば、

  • 部屋が片付かないなら「どう片付けるか」「誰に頼むか」「業者はいくらかかるか」を考える。
  • 不登校や退職なら「通学・通勤環境」「生活リズム」「家族の希望とのズレ」などを整理する。

事例1:不登校の大学生
高校までは自転車通学。大学は母親の希望で進学した学校で、片道2時間半の満員電車。学びたい学校でもなく、ラッシュの電車も嫌で仕方なかった。
この現実的な要因が不登校の大きな原因でした。

事例2:ゴミ屋敷になった女性
時間をかけてお話を伺ううちに「トイレが壊れてから、トイレを見たくなかった。修理業者はきっと男性なので、壊れて汚いトイレを見られたくなかったので修理も出来ない、と諦めていた」ことが原因でした。修理業者に依頼する方法を一緒に考え、トイレが直ると自然に気持ちが落ち着き、部屋の片付けもできるようになりました。ました。

心の問題と現実の問題を両方見る

どちらのケースも、本人は「これが原因」と気づいていませんでした。カウンセリングでは心の問題を扱うのはもちろんですが、現実的な問題も一緒に見つけて解決していくことが必要です

心の原因探しだけにとどまると、前に進めないことがあります。単純に見えること、現実的な問題こそが解決の糸口になることも多いのです。


心の原因探しは大切だが、それだけでは改善しないこともある。
あまりにも単純すぎることや現実的な問題も原因になり得る。
心と生活、両面からアプローチすることが回復につながる。


あなたが今「前に進めない」と感じていることは、本当に心の問題だけでしょうか。もしかすると「単純すぎて見過ごしていた現実の問題」が隠れているかもしれません。
もし「自分の場合はどうだろう」と思われた方は、ぜひ一度ご相談ください。心の問題だけでなく、生活や環境の中にある現実的な原因も一緒に整理し、解決の糸口を探していきましょう。

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